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サンマルコ JR名古屋髙島屋
店長/林 千恵子 さん

大学時代のアルバイトがKYKとの出会いです

大学を中退し、デリカKYK名古屋松坂屋店でアルバイトを始めました。名古屋で生まれ育った私はKYKのことを正直あまり知りませんでした。アルバイトを続けていく中で、そろそろ就活をして就職をしなければという気持ちになってた頃に、当時の店長から「正社員になりませんか」というお声かけを頂きました。そして社内の正社員登用試験と面接を受け、入社を致しました。とても縁を感じています。仕事を覚え、出来ることがどんどん増えると、やりがいと達成感をとても感じるようになりました。店長になるための社内研修も受講しました。最初の頃の研修では、皆の前で話をするのは「恥ずかしい」という気持ちが先に立ち、発言など全くできませんでした。しかし講師の先生、一緒に参加したメンバーと打ち解けて、名古屋から参加した私はお蔭様で最後まで楽しく研修を受講できたことは、今となってはとてもいい思い出です。そして、入社13年目に無事店長に昇進しました。

店長への道のりを支えてくれたスタッフのお蔭で今があります

仕事を続けていく上で、とても重要な事は一緒に働くスタッフ(従業員)の存在だと思っています。スタッフそれぞれに個性・得意分野があります。それを見極め、楽しく仕事をする事こそ、店長の役割の一つだと思っています。
KYKの事をほとんど知らず勉強不足で入社をした私ですが、現在では女性活躍推進委員会「ジョカツ」のメンバーとして様々な課題について発言し、新たな目標を持って取り組みに参加しています。長く働いていれば辛く悲しい事に直面することもあります。しかし、それ以上に楽しく嬉しいことも沢山あります。その楽しい・嬉しいを増やして元気で明るい最強店舗づくりに尽力していきたいと思います。

とんかつKYK デュオ神戸店 
店長/佐藤 すみれ さん

自分が出来る仕事が増えていくのが楽しくなった

高校の就職求人を見て、接客の仕事がしたいと思い探していました。話しやすい雰囲気の説明会が印象的だった、KYKに入社を決めました。
店長養成研修、トレーナーとしての仕事、など様々な経験を積み自分にこれはできる、という仕事が増えていくのが楽しくて、店舗で仕事をしている時に「自店ではこれはこんな風にすればもっとよくなる」「私はこうしてみたい」など思い始め、自分のやりたい事を実現するには、店長だ!!と思い「店長職にチャレンジしたいです」と手を挙げました。バイト経験もなく、高卒での入社でしたが、頑張れば店長を目指せる良い会社だと思っています。

「ジョカツ」メンバーとして又、変化する会社とこれからの目標

色々学べる様々な研修がある事、自分のために勉強ができ、それを支援してもらえる「資格取得支援制度」がある事、気軽に相談出来る人がいる事など魅力的な事がたくさんあります。
ジョカツ(女性活躍推進委員会)のメンバーとしても活動をしており、自分の店舗だけでなく様々な年代の色々な店舗の女性や、本社のメンバーと意見交換ができ、とても有意義な時間を過ごせています。
長く仕事を続けてもライフスタイルに合わせた働き方ができる会社なので、店長として自分がいつも笑顔でいられるよう、仕事もプライベートも充実させたいと思っています。

粋花KYK てんのうじミオ店
店長代行/初元 美優 さん

両親に相談し関西で知名度のあるKYKに決めました

高校3年生の6月、進路を決めるタイミングで希望を進学から就職へとシフトチェンジする事になりました。初めて入室した進路指導室で山積みされていた求人票から、接客関係の会社を調べ、パラパラめくって選び指を挟み、そのページの会社を第1から第3希望と決め書類に書きました。その中にKYKがありました。その会社は①KYK②百貨店に出店している飲食店③福井県の旅館の住み込みの仲居さん、というラインナップでした。そこで両親に相談したところ、関西で知名度の高いKYKに決め応募しました。
もともと高校の3年間、接客のアルバイトをしていたのですが、入社してから「レストラン」で働くのは初めてでした。最初の頃はすべてが初めての経験でとても戸惑いました。しかし、一緒に働くスタッフや上司、先輩、後輩の存在に支えられ今も勤務が出来ています。私がお世話になった店舗は皆さんがとてもエネルギッシュで一緒に働いていて変わらずとても楽しいです。

これからも良くも悪くもマイペースな自分でいたい

当時の上司からの勧めで店長代理の研修を受講しました。きっかけはもう一つ「お給料がアップする」というのがあったのも隠せない事実です。店長代理になってからは、業務内容はさほど変わりはないですが、「数字」と「管理」をテーマに仕事に携わるようになりました。
そして私自身、良くも悪くもとてもマイペースです。その事を理解し叱咤激励しながら育ててくれたすべての上司に、大謝罪&大感謝な気持ちです。
これからは、正社員という枠に出来るだけ固執しながら、囚われすぎない程度に、細く、長く、マイペースに続けていきたいと思っています。

デリカKYK 千里阪急店
小野 弘貴 さん

10年続けてこられたのも頼れる先輩方のお陰です

学生時代から調理の仕事に興味がありました。そして、父親が料理人である事も調理職を目指そうと思った理由の一つです。先生に就職について相談した所、求人票にテレビCMで見た事のあるKYKを見つけて希望し、応募しました。経営理念の「心と味でおもてなし」にも惹かれ、一生懸命実力をつけて頑張ろうと決意しました。2010年に入社し、入社直後は初めての仕事にとても不安がありました。配属されたデリカKYK大阪髙島屋店の皆さんが親切丁寧に指導して頂き、KYKはとても明るくて仕事がしやすい職場であると感じました。今はデリカKYK京阪京橋店に勤務しています。現在も店長をはじめ先輩方の優しい指導と尊敬できる人達との出会いが10年間継続勤務できている原動力だと思っています。

従業員から頼りにされる店長を目指します

現在勤務のデリカKYK京阪京橋店の店長から「店長代理に挑戦してみては?」と推薦して頂き、社内研修を受講する決意をしました。研修が進む度、自分の知識の少なさだったり物事に対する考えの甘さだったりを痛感しました。現在の職場では厨房のポジションを任せられていますが、店長代理養成研修を受講したことで、新たにレジの仕事、閉店後の締め作業などにも力を入れて取り組むようになりました。2023年より店長代理に昇格したのを受けて、必死で勉強している真っ只中です。私の目標は「従業員から頼ってもらえる店長になる」ですので、目標に向けて努力して参ります。

サンマルコ 大阪ステーションシティ店
店長/出口 知英 さん

本社スタッフ・先輩店長との関わりは重要かつ強い味方

入社したのは40歳の時でした。前職も飲食業に携わり、勤続20年を迎えた時期に新たなチャレンジをしたくて転職を決意しました。転職サイトで当社の求人を知り、大阪を中心に店舗を展開し、関西で高い知名度、TVCMなどで馴染みがある点にとても魅力を感じました。
入社後のオリエンテーションを終え、サンマルコ阪急三番街店でカレーの調理の基本を習得し、その後、サンマルコ大阪ステーションシティ店においてカウンターでの接客とカレーの盛り付けを習得しました。この時期にリーダー候補研修も受講し、店長業務のノウハウを学びました。研修を終え、デリカKYK千里阪急店の店長に着任。私が強みとしているコミュニケーションスキルを発揮し、より良いチーム作りに取り組みました。幹部会議に出席するようになり同じ課題・悩みを持つ店長との交流は問題解決と共に孤独になりがちな店長の強い味方となりました。

サンマルコ大阪ステーションシティの12時台は圧巻です

現在の担当店舗はサンマルコ大阪ステーションシティ店です。サンマルコの歴史が最も長い1号店で、お客様の期待値も高く、店長に着任した時は身の引き締まる思いでした。自店の自慢はランチのピークタイムの店内です。スタッフの活気と27席が入れ替わり立ち代わり満席となる12時台は圧巻で諸先輩方が作り上げたこのお店が持つブランド力を守り抜こうと気分が高まります。また、勤続30年のパート社員をはじめ大半のスタッフが長く勤めて頂いています。長年ご利用いただいているお客様とスタッフに愛されているのが自店の自慢です。
そして私の今後の目標は、日々変化し続ける食文化を理解し、飲食店としての役割を考え、既存商品の磨き上げと新商品の開発を実行し、「心と味でおもてなし」の大切さを部下、後輩に伝え続けていこうと思っています。

デリカKYK 阪神店
店長/園田 隆行 さん

結婚がきっかけで覚悟と自覚が芽生え店長を目指す

地元の洋食店で5年間修業し、そこから地元以外の場所で働きたいと思い、「グルメキャリー」という飲食専門求人誌を見て応募しました。当時はネットも今ほど普及しておらず会社の事を調べる事もなく面接に向かいました。本社に着く1分前に看板を見て「曲田商店」が「とんかつKYK」だという事を知ったのをよく覚えています。
入社が決まりアベノ近鉄店時代に一緒に働いて、素晴らしく目標となる女性店長に出会いました。その姿は毎日がとても忙しくて大変そうだったので、正直店長になりたい気持ちはありませんでした。しかし、結婚という決断の時に自身の考え方も変わり、覚悟と自覚が生まれ店長を目指しました。

先輩方から受け継いだものをこれからの人に繋げる

KYKの自慢をと聞かれますと「ブランド力が自慢です」と答えます。特に大阪ではほとんどの百貨店で営業しています。仕事の帰りに電車に乗ると、KYKの商品を買って下さったお客様が袋を持っている姿を見ただけで嬉しくなります。歴史とブランド力を備えたKYKを、諸先輩方より受け継いだ流れを、これからの若い世代の人達に継承していきたいと思います。
そして、私がKYKに入社し、素敵な妻と子供(4人)、マイホームを持つことができました。これは私の自慢です。まだまだ後輩に負ける年齢ではないので、更に頑張り続ける所存です。

営業部 レストラン担当マネージャー
竹丸 泰正 さん

「心と味でおもてなし」を実践している店舗に惹かれて

接客、サービス業にとても興味がありKYKグループに応募をしました。当時、とんかつKYKホワイティ梅田店に食事に行った際、スタッフの皆様が「心と味でおもてなし」を実践されているのを見てとても素敵だなと感じたことを思い出します。入社してからは現場でのOJT、本社での研修を受講し、レストラン部門の店長に任命されました。
現在は店舗の管理監督をする営業部に籍を置き、QSCの向上の為の指導や、販促活動、お客様対応、SDGsの推進などマネージャーという立場から店舗の営業面のサポートを全力で取り組んでいます。

KYKブランドを更に磨いていく努力をする

KYKブランドをご愛顧いただいている沢山のお客様がいらっしゃいます。そしてまたKYKを支えてくれている沢山の従業員がいます。そんな従業員が良いパフォーマンスを発揮し、売上がアップするように営業部としては現場を全面的にバックアップする、それを一番と考えて行動し、更にこれからのKYKを支えてくれる仲間を一人でも多く育成したいと思っています。

本社教育部 シニアトレーナー
吉川 博子 さん

目に留まった!!「心と味でおもてなし」は最高に素敵な言葉

就職活動をする中で、「心と味でおもてなし」の理念に素敵な言葉だなと心を動かされ、1989年に新卒入社が決まりました。入社後、デリカKYK堺店、上本町店、心斎橋そごう店など多くの店舗を経験し、10年目に店長職に就きました。そして店長として勤務している頃に子供を授かりました。

店長として産休・育休までは勤務を頑張っていましたが思いの外悪阻が重く、早退が続きこれ以上店舗に迷惑はかけれないと思い、店長職を降りる苦渋の決断をしました。産休・育休を経て店舗に復帰したのですが「両立が困難」という壁にぶち当たり、そんな私の事を心配して下さった当時の教育部部長の浜口さんが「私と一緒に仕事をしませんか?」という声をかけて下さいました。

退職をして違う会社に就職するという決断よりもKYKの店舗で培った様々な経験を最大限に発揮できるということを考え、2012年に本社教育部での勤務を決めました。

終わりのない子育てと仕事との両立そして今後の目標

子供が熱を出したので休みを取る、そうすると気をつけていても自分にうつり休む。保育園から「熱が上がってきたのですぐに迎えに来てください」と連絡があれば駆けつける。子育てあるあるですが、周りに迷惑をかけてしまっている事への負い目を感じながら自分のできる範囲での努力をしてきました。それは今も変わりません。

当時を思い出して一番大変だったのは、子供がマイコプラズマ肺炎で入院をした時でした。家・会社・病院の往復と教育関連資格の勉強と重なり辛く厳しい毎日でしたが、弱音を吐くことなくやり遂げたことが今でも自信となっています。

今後は教育部部長から託されたこの部署を守り、更に同じ志を持った仲間と共に存在感のある強い「教育部」を確立して、後輩にバトンを繋げていきたいと思います。